第九話:THE QUEEN 後編。

 

 

同時刻。

 

屋上へ向かう階段を駆け上がり、ドアを開いた霊児は警戒して辺りを見渡す。

炎上している車の残骸をバックに、二人の人間がいた。否、一人は人間ではない。

禍々しいまでの竜を模したマスク。全身には漆黒の甲殻を纏い、背に『デンジャー』と書かれたボロボロのジャケットが、辛うじて肩に引っ掛かっていた。

暴力の結晶とも言える拳を握り、全てを引き裂かんばかりの鷲爪。

恐怖と暴力を端整に形にしたかのような異形。

そして、太陽のように美しい女が対面していた。しかし、その図はあまりにも霊児の緊張を弛緩させてしまう。

何故なら――――。

 

「何故・・・・・・・・・正座?」

 

 しかも、背筋を伸ばしてきっちりとした姿勢。親の教育が良かったのか、座した姿が凛然として様になっている。が、異形がやれば、シュールな光景にしか見えない。

 そして、気付く。

 

 

(まさか・・・・・・・・・“アンノウ”ってマコっちゃんか・・・・・・・・・?)

 

 

そう考えれば、全てが何故か・・・・・・・・・合点してしまう。

 最後のピースが嵌るように、ピッタリと。

 

(偶然、コンビニに立ち寄ったマコっちゃんが、置いていかれたラージェを見てオドオドしながらも、放って置けなくなって、何も出来ない癖に声を掛けた。で、そこに運悪くAチームと遭遇。きっと銃でも見たに違いない。危険を感じてラージェちゃんを連れて逃げ回り、途中でラージェを誰かしら、マコっちゃんかラージェちゃんが信頼できる相手に預け、やられることも考えず、囮役とか買っちゃった・・・・・・・・・てか、それしかシナリオが浮かばないぞ!)

 

 当たらずとも、近い予想を瞬時に組み立てた霊児。その呟きに気付いたのか、女性と異形が顔を向ける。

 

「【あれ? 霊児さん? どうしてここに? それにその格好は? 露出を抑えることにしたんですか?】」

 

「霊児じゃねぇか? 何だ? その格好? いつも素肌の上からレザージャケットを着ているお前が?」

 

「あのぉ? 二人とも? オレの印象はそんなモンなの?」

 

 真神家の性を名乗りし、二人の親子は互いの顔を見窺いながら肩を竦めた。

 

「どうでも良いや。とりあえず、話しを訊くんだったな?」

 

「【うん!】」

 

 コクリと頷く、悪魔変身している誠。しかも、元気の良い返事だ。地獄のような声音だが。

 

「どうでもよくないんでけど? こっちとしては?」

 

 シリアス路線の展開が行なわれ、何事も無くスルーされてしまう霊児。

 

「とりあえず、お前の特質と特性全て危うい。周りへの影響すら、計り知れない」

 

「【大体は霊児さんにも聞かされたよ。確か、おれが悪魔人間みたいに変身しちゃうと、周りに凄く迷惑なんでしょ?】」

 

(否! 断じて否だ! マコっちゃん! 君の常識外な暴れっぷり、嵐を呼び込む体質と訂正しろ! 少なくとも君のせいでかなり、オレは無駄に走り回った!)

 

「いや、獣化現象出来る位なら私は逆に褒める。これでもかぁ! って位に褒める。抱締めてゴロゴロする程度じゃ済まさん。もう、ハグだ。ハグ。嫌だって言っても許さん」

 

(褒めるんっすかぁ! あんたは! しかも、抱締めますか!)

 

「【母ちゃんのハグは背骨が軋むから、ヤダ】」

 

 他者の意見を悉く、無視し切って京香は続ける。

 

「そう・・・・・・・・・その位なら、私はここまで思い悩まない。でも、お前は真神家最悪の忌子(いみご)、真神正輝が支配下に置いた〈魔王の魂〉を受け継いでしまっている」

 

「【馬鹿丸出しの、気持ち悪い未来日記を書いた人?】」

 

「そう。馬鹿丸出しの、キモい未来日記を書いた奴だ」

 

 

(〈聖堂〉という組織を相手に唯一、単独で戦闘し、二代前の女教皇を殺した〈黒白の魔王〉を、馬鹿呼ばわり・・・・・・・・・・・)

 

 

「そして・・・・・・・・・〈黒白の魔王〉を倒した――――」

 

 

(はい、はい。自分って言いたいんでしょ? 自意識過剰に聞こえなくも無いけど、京香さんなら事実だからしゃーないし・・・・・・・・・・・・)

 

(【まぁーおれの母ちゃんだし。それくらい余裕でしょう?】)

 

 誠も同じなのか、母親だと微塵の疑いもなく思っていた。

 

「仁の血を受け継いでいる」

 

「「【はーぁ!】」」

 

 驚愕の声音が綺麗に揃う。

 

「えっ・・・・・・・・・・・・ちょっと待ってください・・・・・・・・・!」頭を抱えて挙手する霊児に、京香は頷いて発言を許す。

 

「〈聖堂〉では、京香さんが〈黒白の魔王〉を討ち取ったって聞いてますけど?」

 

 

 第二車両内。

 霊児の持っているマイクで、会話を聴いている〈連盟〉のマジョ子も歯軋りしながら、

 

「〈連盟〉もだ・・・・・・・・・・・・」

 

 後継者を作るために、婿養子にした。と、今の今まで、思っていたのだ。

 《神殺し(スレイヤー)》と噂された大魔術師は五名の他、もう一人が存在することに、驚きを隠せない〈聖堂〉と〈連盟〉。

 唄う死天使して詩天使、〈セフィロトの木〉のただ一人の、生き残りである如月駿一郎。

 〈八部衆〉の不死身鳥にして、炎と水、音速を飛翔する旧姓、戸崎の如月アヤメ。

 七大退魔家、序列二位。暗殺技巧の傑作にして、〈死神の宣告〉、〈鏖殺者〉と呼ばれた夜神十夜。

 同じく退魔家、序列三位。拷問師の残虐性か? それとも楽に死なせないための偏執狂ゆえか? 治癒魔術に長け、皮肉と共にあだ名された〈癒しの拷問師〉、陽神殊子。

 そして退魔家序列一位にし、〈暴力世界〉の〈クラブ〉、〈トライブ〉、〈セメタリー〉という広大にして暴力と流血の世界で、〈女王〉と誰もが呼ぶ真神京香。

 その《神殺し》の中でもっとも戦闘能力に長けた人物が、霊児を見て首を傾げた。

 心底、不思議そうな顔だった。

 

「〈倒した〉とは、言ったが、〈私〉だって一言も言ってないけど?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句。聖堂第三位の〈聖剣〉巳堂霊児は、唖然となった。呆然としながら、〈女王〉の横に立つ人間が、ただの一般人ではないと同時に思えた。

 

「【父ちゃんが?】」

 

 しかし、誠は信じられなかった。

 確かに生前の実父は、子供だった誠にも情け無いと嘆いてしまうほど、情け無さだった。近所付き合いのある鷲太の妹、当時三歳程度の弥生に慰められるという、実績があるほど。

でも何故か、憧れていた十夜、不良を地で行く駿一郎、微笑で毒舌のアヤメは、親しみと友情の中に敬意というのか、信頼のような〈モノ〉が、多々あったのも確かである。

 

(この三人が頼ったり、頼み事をするのは母ちゃんではなく、必ず父ちゃんだった・・・・・・・・・・・・パシリじゃないって事か?)

 

 実の父に最悪な評価を付けながら、誠は京香を見上げながら、

 

「【嘘でしょ?】」

 

「私がお前に嘘を言った事があったか?」

 

 怪訝に返され、唸ってしまう誠。

 実の母だから嫌いになれないのではない。若作りし過ぎだから、苦手でもない。ただ、本当に率直過ぎる。ストレートなのだ。

 隠す事はあるが、口に出す言葉は本当の事だ。

言う事も、行動も全てが。

手が出る足が出るのも、その率直さが暴走した結果でしかない事が、我が子だからこそ理解してしまう。

 

「そして仁には秘密――――てか、ぶっちゃけて、出生が大問題だった。旧姓は小須田だが、養子だ。誠も知っているだろ? 御祖父様と御婆様さ。普通なら巻士、黒須、春日井に引き取られるはずだったんだが、何か知らされたくない理由があったんだろうな。退魔家の家系図に当て嵌まらない、関係の無い家に引き取られたんだ」

 女王は何処か遠くを眺めるように続ける。

 

「本当の名字は、大神(おおがみ)。八〇〇年前、〈八大退魔家〉だった頃、真神と並ぶ序列一位。〈制裁者〉、〈狼神(ろうしん)の化身〉、〈守護者〉、〈大いなる眷族〉にして〈代行者〉。それらの異名を持つ退魔家の中で滅び去ったはずの血族。

真神とは違い知識ではなく、〈血〉による継承のため、世界に血脈を広めて滅びた大神家。その純血を持っているのは・・・・・・・・・誠? 全世界ひっくるめても、お前以外誰もいない・・・・・・・・・」

 

何も口を挟めない。女王が語る言葉は、全てが真実なだけに。

〈最強〉の真神。そして、〈制裁者〉の大神? 馬鹿げていると、〈聖剣〉と〈魔女〉は無視したくとも、出来なかった。出来るわけが無い。

魔術に係わる者、その家に生まれた者は、その親や師にこう言われている――――。

《狼に気を付けろ。敬意を忘れるな。敬意を忘れたら、畏怖して終わる》と――――。

〈連盟〉、〈聖堂〉の長い歴史の中で、〈大神〉と名乗る者が、存在しているのが証拠だ。

〈連盟〉には知識欲が先行し過ぎて、〈外世界〉にまで通じる〈門〉を開いてしまい、尋常ではない犠牲者が出た最中、〈オオカミ〉と名乗る一人の魔術師が、〈門〉から出てきた魑魅魍魎を駆逐し尽くして、〈門〉を内側から閉じて消えた。

〈聖堂〉にも、その伝説が伝わっている。否、伝わり続けている。

英雄として――――。

 

「大神を名乗る男も女も、その一生の間に〈純血〉を残す。自分が生きた証と、これからのため。まるで狼のように、我が子のために。狼のように群れのために、その身を犠牲にする事を厭わない。〈群れ〉のために命を投げ出す」

 

 現れた幾百の〈オオカミ〉は、大勢のために。その命を散らし、流星のように一生の幕を閉じていった。

 

「まぁ、その〈純血〉というか、子孫繁栄に選ばれたのが私らしいな?」軽く言いながら苦笑して、

 

「寧ろ私が選んだというのが、正しい。あんな男は滅多にいない」

 

ははぁー! と、平伏してしまいそうなほど、女王様は尊大だった。

 

「それに小須田京香なんて、カッコ悪いからな。だから、婿養子にした。真神仁・・・・・・・・・こっちの方が断然、カッコ良い」

 

「「【それだけかよ!】」」

 

 誠は頭を抱えそうになるが、霊児は幾分だけ冷静に状況を整理できた。

 

「つまり――――京香さんはマコっちゃんの中にある〈憤怒の魔王(サタン)〉を、復活させる事を恐れていただけではなく、マコっちゃんの中にある厄介な〈大神〉の血も封印してたんですね?」

 

 霊児の質問に女王と呼ばれる京香の顔が、剣呑な眼光で射抜くように睨み付ける。しかし、深呼吸して戦慄を数秒で駆逐仕切った。

 

「何故・・・・・・・・・・・・魔王(サタン)って解る・・・・・・・・・いや、さすがと言うべきか・・・・・・・・・聖堂第三位、〈聖剣〉巳堂霊児・・・・・・・・・最年少で枢機卿に駆け上がるだけの実力と、観察眼なら別か・・・・・・・・・・・・」

 

「いや、誰でも見りゃ予想つきますよ?」

 

そうだね。霊児君。BBSで速攻書き込まれたくらいだ。

 

「【〈憤怒の魂〉・・・・・・・・・おれが怒りっぽいのって、カルシウム不足だと思った・・・・・・・・・】」

 

「いや、マコっちゃん? 君の怒りっぽさがカルシウムのせいなら、戦争やってる全員が、カルシウム不足だ」

 

 ボケだらけの親子に、丁寧に突っ込みを入れる。が、突っ込み殺しの真神親子は無視したかのように話しを続ける。

 

「まぁ――――霊児の眼だけは、誤魔化しようが無いな。さすがの私の封印結界も、〈(チャクラ)〉を開いた聖人には、筒抜けになってもおかしくは無い・・・・・・・・・否、今世紀最高の聖人を騙すなんて、それこそ森羅万象に属した者達、全てが不可能だ」

 

 ボケっぱなし京香に、ジト眼で見る霊児。褒めてるのか、馬鹿にしているのか? 勘繰ってしまうが、本気で言ってるだけに性質が悪かった。

ジト眼抗議も、女王にはまったく効きもしない。むしろ、じっと見ていたら行き成り、ウィンクされた。器が違うと、思い知らされてしまう霊児である。

 

「ぶっちゃけ、誠には二つの血が流れている。真神家の血と、大神家の血。真神家側なら、お前は正輝の後継者――――〈七大魔王〉の一つ、〈憤怒の魔王(サタン)〉となることが決定してしまう。

大神の血に目覚めても同じだ。お前は顔も名前も知らない、赤の他人のために――――命を捨てなければ勝てない戦場に赴いてしまう・・・・・・・・・・・・どちらにしても、どっちにしてもだ! この私は絶対に、許さない・・・・・・・・・破壊と殺戮の魔王となって屠られる事も、悲惨で悲劇的な死で、英雄となる事も・・・・・・・・・この、私が絶対に、許せる理由(わけ)がない」

 

 唇を噛む京香は、正座している我が子に眼を向ける。己が心の吐露するような弱々しさと、母性を綯い交ぜにした声音で言う。

 

「だから――――誠? 解ってくれ・・・・・・・・・この方法が――――いや、これ以外に私はお前の為になることは考えられないんだ・・・・・・・・・」

 

 悲痛すらある京香の声音に、霊児は驚いてしまう。我が子の前で、女王が懇願しているのだ。

 

「【ヤダ】」

〇.一秒の返答。

しかも、頭を掻きながらオナラのオマケつき。いくら、母親の前だからとはいえ、リラックスしすぎだった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 オナラはビル風に拭かれて、壮絶な臭さが鼻腔を刺し貫く。絶叫して文句の一つでも言う場面だが、笑えない返答だったため霊児は、思考停止になってしまう。

 京香はもっと酷かった。

 

「ちょっと・・・・・・・・・お母さんの話を聞いたの? 誠?」

 

 驚き過ぎて、言葉遣いまで変わってしまった。

 

「あのね? 仁の側にも、正輝のクソ叔父さん側になっても、誠の人生はすごく、すっごく、大変になってしまうの? それは解るわよね? 誠は良い子だから?」

 

 幼児退行ならぬ、幼児扱いの言葉遣いに霊児はぞっとしてしまう。

 この女王も、誠が小さな時はこのような喋り方だったのだろうか? それより、一目見てクリーチャーな誠に対して、丁寧な言葉はある意味ホラーだった。

 否、寧ろ? 頭が可哀想な我が子に憐れんでいるのか?

 

「【でもヤダ】」

 

 ぷいっと、顔を背ける誠。異形姿で愛嬌すらある仕草。

 

 

(だから〜! ギャグなのかホラーなのかどっちかにしてくれよ! 突っ込み辛い!)

 

 

 頭を掻き毟り始める霊児を他所に、誠は地獄の底から響くような声で、決意を言う。

 

「【それじゃ、おれは母ちゃんと美殊に頼りっきりじゃないか? そんなの、絶対に嫌だ。おれはもう、何も知らないままになんて、戻れる訳がない。美殊や母ちゃんの負担にだけは絶対に、なりたくない!】」

 

 あぁ・・・・・・・・と、納得した京香は頷きながら、にっこりと微笑んだ。まだ、幼児扱いが抜けきれていないのか、その顔は本当にお母さんをしていた。

 

 

(マジで逃げたくなってきた・・・・・・・・・)

 

 

心底、ホラーかギャグかのどちらかを、渇望し始める第三者の霊児。

 

「大丈夫。私が死んだ後でも、誠の面倒を見てくれるために、美殊を養女に向かえたようなものだし」

 

 

「【あぁ?】」

 

 

ビル風が誠の一言で逃げ惑う。

 

 

「【今? 何て、言った?】」

 

 

 ゆっくりと、立ち上がる。

 背丈は一九八センチある。全身をギリギリに絞込み、原始的な戦闘を領域とする破壊の悪魔のマスクが、弾かれたように左右へ広がる!

 その瞬間、三つ目の封印が砕け散り――――。

 

 

「【何て、言ったぁ! このぉババぁ!】」

 

 

 地獄の表層を砕くほどの、大音声。

誠の地雷は妹で、幼馴染みの美殊だ。

可愛げのない後輩だが、誠にとってある種の使命感を持っていると、接した時間は少ない霊児でも人畜無害な誠を、瞬時に悪鬼へと豹変する事柄が存在していると、理解していた。そして――――悲しい事に、霊児は京香の地雷も知っていた。

 

「ババ・・・・・・・・・今・・・・・・・・・ババってぇ? えっ? ウソ?」

 

 京香の地雷は年齢に関した言葉だ。こちらはいたっては、女性としてはシンプルである。

 シンプルなだけに、特大で大型の地雷だ。

 

 

「今――――」

 

 

 ビル風が一気に温度を変える。熱風となって燃える車の残骸を消し飛ばす!

 

 

「何て、言いやがった! バカ息子ぉぉぉお!」

 

 

(互いの地雷を踏み合いやがった!)

 

 

 心中で絶叫を上げる霊児。すでに二人の間で生まれる、壮絶な突風に吹き飛ばされる寸前だった。

 ジリジリと後退しながら、眼が潰れるような突風を遮り、懸命に眼を京香へ向ける。

 京香は天へ右の掌を突き出し、剛炎の如く悪魔の息子を睨み――――。

 

太陽神(アマテラス)・・・・・・・・・召喚】

 

 厳かに言い放った瞬間だった。

 ビルの屋上を瞬きのスピードで、高速に描かれた〈魔法陣〉が覆い尽くす!

 魔術の世界で、悪魔を統べる意味を持つ五芒星。その中心に天使の象徴たる剣。それらを、トライバル模様の円は炎のように囲んでいく。

 

「真神家、家紋の・・・・・・・・・・・・魔法陣・・・・・・・・・」

 

 霊児は息すら忘れ、上空に描かれた真神家の紋章(シール)を見上げた。

 

 

 ローマ。午前九時四九分。

 

 

〈女教皇の塔〉とは離れ、ヴァチカンの一角にある観測用の聖堂施設が存在する。

セフィロトの木と呼ばれ、〈聖堂異端審問官機関〉と呼ばれる機関。

魔力観測のチェックを怠らないのは、〈聖堂〉にとって日常茶飯事である。〈敵〉の情報を、〈女教皇〉の敵となる可能性を考慮して。そのため、ディスクワークの殆どが何時、現れるとも知れない敵の魔力観測。

その退屈な時間を、一人の若き異端審問官が端末席に座った瞬間――――だった。観測室全てを赤に染める危険信号(アラーム)が、金切り声でけたたましく絶叫した。

 

『警戒レベルMAX。繰り返します。警戒レベルMAX。至急、確認を』

 

 女性の機械音声に、コーヒーの紙コップを口につけていた審問官が噴出した。

 聖堂が〈敵〉と認識するなど、一〇〇年にあるかないか。それほどの確率しかないので無理もない。

異端審問官は床に吹き出したため、端末には水分は飛ばなかった。だが、その端末のスクリーンに映る数値――――。

十桁の魔力数値を出せるはずの魔力探知機が、高速で演算され、耐え切れなく火を噴いて爆発した。

 

「ヒィイ!」

 

 顔を覆って、情けない悲鳴を上げてしまう。

 十桁を超える魔力? そんな魔術師は・・・・・・・・・いるはずが無い。

 

「どうした?」と、何時の間にか室内に現れる老人の声音に、はっとなって振り返る。

 

 法衣を纏い、白い髪と白い髭。それらが丁寧に整えられた紳士然とした老人。背筋はピンと張り、いまだ衰えぬ眼光がチラリと炎を上げる端末に映る。

 若者が、首を振りながら言う。

 

「イキナリ、端末が爆発してしまい――――その、何が何だか・・・・・・・・・」

 

 言い訳をオドオドと言う若者に、老人は手で遮る。ゆっくりと頷いて、若き異端審問官の瞳を見たまま、厳かに呟く。

 

「貴公が驚くのも無理はなかろう。しかし、魔力探知機の誤作動ではない」

 

「えっ? 何を言っているのです? マジスター・テンプリ枢機卿? 探知機を越える魔力量など、絶対にありえませんよ?」

 

 聖堂騎士、聖堂第八位〈杖〉の称号を持つ者を仰ぎ見る若者に、魔術を知り抜き終えた(マジスター・テンプリ)枢機卿は苦笑して、

 

「世の中は広大で、深いのだ。そして、〈絶対〉などは〈絶対〉に存在しないのだよ」

 

 謎めいた言葉を言い、聖堂の七騎士目である老人は壁を凝視した。

 壁を通過し、その先の先までを。

 その方角は東だと、若き異端審問官は知る由もない。

 

 

 イギリス。ロンドン。連盟本部。八時四九分。

 

 大英帝国の知識全てを凝縮し、裏の裏の知識を掻き集める連盟総本山。

 大英博物館地下三六五階にある、連盟観測魔術に冷戦中である聖堂と同じく、室内全てを赤い警告色に染められていた。

 直系一〇〇センチの立体映像の地球儀。その地球儀で、極東の小島であるはずの日本が、赤く燃えるように染まっていた。

 その一点を凝視する、観測係を言い渡されている二人の連盟魔術師。

 

「おい? 何だこれ? 魔力数値十億超えたぞ?」

 

「解りませんよ。でも、凄いっすよ? こりゃあ、太陽神(ラー)ですよ?」

 

融合(アモン)()太陽神(ラー)のことか? でも、ここ日本じゃん? エジプトからかなり離れてるぞ? それに、五時間一二分前にお前が確認したばかりだろ? エジプトの砂漠から一歩も動いていないんだろ?」

 

「そのはずなんですけど・・・・・・・・・瞬間移動の魔術って、アイツは使えましたか?」

 

「六〇年二ヶ月前に、行使不能って判断されたじゃんか?」

 

「じゃ、その間に使えるようになったんじゃ?」

 

「バカか? 〈セメタリー〉の屍人(ゾンビー)じゃあるまいし。〈墓場の巫女〉に属してる〈ファラオ〉だって転送魔術習得に、三〇〇年一二ヶ月四日の五時間後に出来たんだぞ? そう簡単に才能だの、閃き程度で出来るかよ? あいつ等は死なないから、死に物狂い(・・・・・・)で魔術を行使出来るし、腐るほど修錬の時間(・・・・)があんだぞ? それで、ようやっと(・・・・・)出来る魔術だぞ? 初っ端から命捨てて魔術を行使するから、出来るんだぞ?」

 

「それもそうですね・・・・・・・・・じゃ、この日本に存在する魔術師は?」

 

「そうだよな・・・・・・・・・誰だよ? こいつ?」

 

 行き場のない議論に混濁する二人の頭に――――。

 

《それは陽の元(日本)の古神だ》

 

 頭蓋と脳内を、直接刺激する念話に両者はっとなる。

 瞬間、壁を物質透化魔術ですり抜け、糊を利いたスーツを着た三〇代半ばの男性が現れる。

 病的な白い肌と、生気の赤を協調する目と唇。

真紅の唇を面白そうに笑みを作ると、長い犬歯――――牙が覗く。吸血鬼たる証にして、魔術師の最高峰、不死者への階段を上り詰めた者の証だった。

 

「日本のヤオロズノカミ・・・・・・・・・その一つである太陽神。

一つの神を信じ、知識の後退しか考えない。猿のクソにも満たない、クソ以下のカス共が、後生大事に盲目的に拝めている、全知全能と嘘をほざく、キリストの言葉を曲げて狂った、現在のキリスト教と比べる事態が間違いだ。

質が違う。そして、歴史という時間の重みが違う。

万物の(ことわり)から派生し、土地による信仰によって生まれた〈神〉は、千差万別でありながらも、一点特化に関しては完璧だ・・・・・・・・・完成された完全だ。太陽の化身。太陽の女神。太陽を冠した《神》が、極東に舞い降りただけの話だ」

 

無駄な議論などするなと、付け足す男に、頭を掻きながら連盟魔術師は口を挟んだ。

 

「あの? 〈(おさ)〉? いきなり〈念話〉とか、〈物質透化魔術〉とか高度な魔術は、控えてください。メチャクチャ、心臓に悪いですから? オレらは慣れてますけど、新人なら心臓発作しますから?」

 

 うんうんと、頷く相方。それら二人を見渡して、バツが悪そうに頭を掻く連盟の長。

 

「それは、すまなかった。しかし、久しぶり(・・・・・)に面白い予感がしたんでな? 寝癖も直さず、一直線(・・・・)にここまで走って来てしまったのだよ。驚かせたなら、許してくれ」

 

 そう言いながら、連盟の長は煌びやかな金髪にある寝癖を懸命に手櫛を入れ、直そうとするがまったく直らない。嘆息し、寝癖を捨ててある方角に目を向ける。

 天井に遮られながらも、その方角は東を見定めていた。

 

 

「――――キョーカ・マガミ。若輩な吸血鬼たる私でも、見ることが許される太陽よ。何を望んで、その身に《神》を降ろす?」

 

 

 ルーマニア。トランシルヴァニア。一〇時四九分。

 

 

 吸血鬼発生の地にして、延々と幻想を伝える土地。

 そのトランシルヴァニアの郊外には、壮大な建築物が存在する。

 その城とも形容しなければならない屋敷の奥。

 昼の光を一切合切を遮る闇の謁見。その謁見の間には、煌びやかな宝石を鏤めた玉座に座る一人の男性が足を組み、肘掛の先端を一瞬だけ握り締める。

 瞬間、嵌められたダイヤモンドの宝石すらも砕け散る。

 幻想的な金髪に、ギリシャ彫刻のようなほりと男性の武骨さ。戦士と言うもの全てを形作るその容貌と、ルビーの紅眼を見開いて静かに一点を見入った。

 その方角は東――――。

 

「いかがなさいましたか? ガウィナ様?」

 

 九〇〇年の長き付き合いたる執事長が言う。

 筋骨の逞しく、浅黒い肌の執事長は怪訝に主を見窺う。

 

ワイン(・・・)が御口に合いませんでしたか?」

 

 ワイン――――吸血鬼なら生き血が収められたボトル。自分が選んだワインの味に気が触ったかと、メイド長が問い掛ける。

 七〇〇年の付き合いはあっても、当主に対しては絶対の忠誠心を忘れた事などない彼女は、己の失態と深々と頭を下げていた。

 

「そうではない・・・・・・・・・〈東〉に、〈太陽〉が降りるのを感じてな・・・・・・・・・?」

 

 クスクスと、笑いが堪えられないためか、身を捩り始める主に執事とメイドは怪訝となる。

 

「〈女王陛下〉が、〈全力〉を出そうとしているぞ?」

 

 〈暴力世界〉。序列一位〈クラブ〉を統べる長たるガウィナ・ヴァール。〈吸血騎士〉と呼ばれ、一五〇〇年の最年長にして最古の吸血鬼は、耐え切れずに笑いを闇に木霊させた。

 執事長とメイド長はあぁ、なるほど。と、頷く。

 仕える主が感心を示し、敬意する者は彼女以外ありえない。

 何年前かは忘れたが、〈武者修行〉と尊大に言い捨てて、〈クラブ〉の門を潜った退魔師は、たった三年で〈クラブ〉の戦闘会員一万の頂点に君臨し、ガウィナの我侭娘の鼻を圧し折り、ガウィナ自身が〈己を倒せる者〉と認めた正真正銘の〈女王〉以外、ありえない。

 

「それは敵に同情しますね」と、執事長は肩を竦めて言う。

 

「私はその敵があまりにも、可愛そうです。ある意味、絶望的ですから」メイド長は首を振ってやれやれと応える。

 

 しかし、クラブの長ガウィナはクスクスと両者を見窺い、首を横に振る。

 

「同情? 絶望?」

 

 もう耐え切れなくなり、声を抑える事も忘れて笑う。何千年ぶりだろう? 声を抑えず笑うのは?

 

「諸君? あの女王陛下が、全力を出す敵だぞ? クラブの戦闘会員なら! 生粋の戦闘信仰者なら! それはこの世全てと引き換えにするほどの幸運だ。まさに、至福と言っていい・・・・・・・・・そう、光栄の極み。この私も例外ではない・・・・・・・・・」

 

 笑いを堪え、そして身に渦巻く戦闘の欲求を懸命に押さえ込みながら、吸血騎士は唇を吊り上げる。

 

「私は女王の〈敵〉に、心底嫉妬している。何故、この私ではなくその〈敵〉と〈本気〉で闘うかと、な?」

 

 〈全力〉と〈本気〉こそが、言語を超越した信愛。それが、クラブ。

 〈力〉の頂点を前にして、その〈最強〉の敵が己でないことに、身体が砕かんばかりの嫉妬と、遠巻きながらも〈女王〉の全力を感じることに幸福を感じながら、吸血騎士は東に視線を向け続けた。

 

 

四月一七日。タヒチ。二二時四九分。

 

 

夜を照らす月が上がり、波の音が静かに響かせる島。

〈トライブ〉の保守派が静かに自給自足で暮している、〈楽園〉の小島。

その小島の最長老は、一人の痩せ細った青年に支えられ、バイブレーションのように震える身体を前へと歩む。手に持った杖すら、ブルブルと振るえている。

 

「さぁ。長老? そろそろ、寝ましょう。寝室はこちらですよ?」と、献身的に介護する若者は〈トライブ保守派〉の親善大使を務めるフェイト・シルバー。〈怒る飢え〉と恐怖で呼ばれる獣人も、長老への敬意は忘れない。

 

「お体に触ります。ゆっくりで構いませんから」

 

 優しく労わりながら杖を突きつつ空想(ヴァーチャル)ガムを噛み、モゴモゴしている老人を、寝室へ案内するべくロッジの廊下を数歩進んだ瞬間だった。

 ピタリ――――と。まるで、バイブレーションの電源が切れたように震えが収まり、背筋がピンと張る。持っていた杖を手放し、迷う事無く力強い足取り。

 

「長老!」

 

 いきなり歩き出す長老にフェイトは足早に歩き、肩を掴んで止めようとする。しかし、その足取り。そして、力強さには全くの効力を発揮しなかった。肩を掴んだ瞬間には、弾くように前のみを歩く。

 

「長老!」

 

 手を振り切り、歩き続ける長老の後を追うフェイト。

 そして――――。砂を蹴り、夜の砂浜の前で遠くを眺め続ける長老の背を見て、フェイトは思う。

 

(痴呆の進行が進んだのか?)――――と、あんまりな感想を。

 

「フェイトよ・・・・・・・・・」

 

 しかし、痴呆にしてはあまりにも張りのある声音にはっとしてしまう。

 

「太陽が昇るぞ・・・・・・・・・?」

 

 厳かすらある声音に、フェイトは怪訝になって長老が見続ける方角を見た。

 その方角は東――――。

 

「月は上がったばかりですよ。長老?」

 

「否、昇るのだ」

 

(やはり痴呆が進んだか・・・・・・・・・)

 

 心痛の気持ちを表に出さぬまま、気が済むまで長老に付き合うと決めたフェイト。

 長老が逸らさず見続ける方角を、一緒になって眺め続けた。

 

 

 アメリカ太平洋岸。〇時四九分。

 

 

「あぁ・・・・・・・・・・・・ァァァァァアアアアアアアアア!」

 

 

 一人の少女がベッドから飛び起き、アパートの一室で目を見開いて絶叫を上げた。

 天井を貫くように見上げるオッドアイ。銀色の髪を振り乱して、叫び続ける。

 

「なんだよ? ナターシャ?」

 

 文句を言いながら、一人の青年がドアから入ってきた。

 皺だらけのワイシャツと、スーツズボン。生あくびをしながら、寝癖で跳ねた黒髪を掻きつつ、ナターシャと呼ばれた少女――――〈墓場の巫女〉と呼ばれている少女の肩を抑える。

 

「恐い夢でも見たのか? それともトイレか?」

 

「て・・・・・・・・・・・・ぜ・・・・・・・・・キョーか・・・・・・・・・きょ・・・・・・・・・う・・・・・・・・・か・・・・・・・・・」

 

「キョーカ? あぁ〜。キョーカ・マガミか? あのクソアマが、どうかしたか?」

 

 〈反対命題〉とあだ名された屍人の問いかけも、ナターシャは「キョーカ」とだけを、繰り返す。

 

「それより、どっちのキョーカだ(・・・・・・・・・)? 生きてる方か?」

 

 彼にとって一番重要であり、一番無駄な質問。

 この痴呆の少女に応えなど、期待できるわけがない。〈幽界(アストラル)〉からの声が聞こえない彼には、無駄以外無い問いかけ。しかし、その問いかけと同時に、外から慟哭が響き渡った。

 アパートの壁を震わすほどだの、大音量が叩き付けられる。

 

「今度は何だ? 安眠妨害かよ!」

 

 屍人でも眠れやしないと、文句を言いながら窓を開いて絶句してしまう。

 街中の人々――――街中の自縛霊――――そして街中の〈精霊〉と〈悪魔〉が恐れ、慄き、恐怖していた。

 負け犬の街〈キャッスル・ロック〉全てが、泣き喚く。

恐怖に、強者の威光に慟哭していた。

 眠る人間、起きる時刻の住人問わず、全てが泣き喚いて恐れていた。

 

「何だ・・・・・・・・・こりゃぁ?」

 

 弱者の集う〈キャッスル・ロック〉全てが、泣き喚いて懇願していた。

 止めてくれと・・・・・・・・・。

 よしてくれと・・・・・・・・・。

 負け犬という烙印を押されても、魔術師が集うスラム街。その街の全てが、泣き喚いていた。

 魔術師達が、悪霊が、精霊が泣き叫ぶ。

 

 

「テーゼ・・・・・・・・・太陽が・・・・・・・・・落ちる」と、背後に掛けられた言葉に、テーゼは振り返る。

 

 

 そこにオッドアイの瞳が衝突するが、その瞳はもう――――はるか彼方を魅入っていた。

 その方角は、東――――。

 

 

 同時刻。

 

 

 日本地図を映した巨大モニター。その日本の霊脈、鬼門の中心たる鬼門街。その街が真っ赤になって点滅を繰り返す。

 オペレーターの男女問わず、インカムをつけた人々は端末を忙しく打ち続け、声高に叫んでいた。

 

「真神京香からの緊急シグナル! 〈アマテラス〉要請の魔法陣を確認!」

 

 一人のオペレーターの叫びに指令官席に座る、帽子と顔の刀傷が生々しい老人が頷き、低く落ち着きのある声音で問う。

 

「敵は?」

 

「新約、旧約聖書! 分類(カテゴリー)・・・・・・・・・そんな! 〈七つの大罪〉!」

 

 堂々とした声音に、落ち着いたオペレーター。それでも、唾を飲み込んで続きを言うのに、数瞬の間を必要とした。

 

「分類は〈魔王〉・・・・・・・・・〈七つの大罪〉、〈憤怒の魔王(サタン)〉です!」

 

 一気にざわつくオペレーター達。悲鳴や絶叫が、波のように広がる。

 

「そんな! 〈黒白の魔王〉が復活したのか?」

 

「いや、〈黒白の魔王〉とは違う――――反応が小さい」

 

「どっちにしたって、〈魔王〉だぞ! それも! 〈黒白の魔王〉が支配下に置いた魂だ!反応云々じゃないくらい、解る

だろうが!」

 

慌しくなるオペレーター達に、司令官は厳かに命令を下す。

 

「黄紋町の全、【エージェント】に連絡(コール)を」

 

 

「はっ!」

 

 

黄紋町ライブハウス。KABUKI。

 

昨日の晩、ライブの成功を収めたロックバンド“鴉”。

彼等は昨晩、ようやっと念願叶ってメジャーデビューが決まった。

そして、今までの感謝も込め、ライブハウスのマスターへの恩返しとして、店内清掃をしていた。立つ鳥あとを残さず。そして、自分達の原点を忘れないために。

モップで床を清掃していたベース、浅生和磨がニヤニヤと昨晩のライブを思い出していた。

フリーターで、今年二二。金髪と甘いマスクが女性受けし易いが、付き合うと中々の硬派。そして、饒舌だが気配りが行き届くチームのムードメーカーである。このライブハウス清掃をやろうと、言ったのも彼が最初である。

 

「しっかし〜よ? 一時はどうなるかと思ったぜ。幸彦も幸彦だよ? ライブに間に合うから良かったもののよ? チャリで転んで、アバラ折るなよ? ヘルプでドラムが入ったから練習出来たし、テンション下げずに済んだから良かったけどさ?」

 

「それは言わないでくれよ〜? カズ? マジで気にしてるんだから?」

 

 ドラムの伊達幸彦。

年齢は二一歳。稲妻模様に刈り上げた髪に、体育会系の立派な体躯。筋骨逞しい青年の印象を初対面の人間なら思うだろう。だが、気が弱いほうで、人見知りするタイプである。その体躯に不釣合いの情けない声を出して抗議していた。

 

「あんま、幸の字をイジめんなって? こいつ? ヘルプで来てくれたドラムのテクにビビッちゃって、俺に毎晩電話してきたんだぜ? 『俺・・・・・・・・・お払い箱かな?』って不安がってたんだから?」

 

 リードギターで、リーダーの源継斗(けいと)

二三歳。ワックスではねらせた茶髪。胸元に見えるバラと骸骨の刺青が特徴。そして、笑うと以外に幼さを未だ残す、作曲担当者。

テーブルを拭きつつ少年のような苦笑で、

 

「まぁ。俺としてはヘルプのドラムが凄腕だから、幸の字も必死になって練習してくれたし。遅れを取り戻した上に、スキルアップまでして復帰してくれたから、言う事なしだな」

 

「まぁ! 幸彦のドラテクに磨きが掛かったら、俺もベースが楽しくてしょうがなかったのは事実だしな」

 

 メンバーの労いに、擽ったそうに笑う幸彦。だが、すぐに顔は真剣になる。

 

「それにしても・・・・・・・・・ヘルプのドラマーは本当に凄かったよ。まだ高校生でしょ?」

 

「そうらしい。確か聖慈(せいじ)が連れてきたよな?」

 

 言って、継斗が顔をカウンターでグラスを磨くヴォーカルに顔を向けた。

 

「ああ」

 

 “鴉”のヴォーカル、作詞担当の(こう)()聖慈(せいじ)。継斗と同い年で、高校の時に継斗は出合って以来、バンドを結成した。

和磨とは違う種類の二枚目であり、女性が甘いマスクと評するのが和磨。しかし、聖慈は逆に、力という物が内側から醸し出すタイプである。無口ではなく、寡黙で人の話に耳を傾ける。冷たいではなく、冷静にその現状を見定めようとする雰囲気がある。

付き合いの長いメンバーは、マイクスタンドに立った彼の凄みを知っている。

燃えるようなハイトーンボイスに、背が粟立つほどの歌唱力。

まさに“鴉”には無くてはならない存在である。

塗れたように光る黒髪、鋭利な目元、凛々しい容貌。欧州人の母から受け継いだ琥珀色の瞳と、女性にもてる要素が多々あるのだが、本人の理想が高いせいか、恋人が居たのは高校生活を除くと全く無い。

 

「大悟君は、小学生くらいから知り合いだったんだ。俺の親戚と友達なんだ。小さい頃からドラム叩いていたのを思い出したんだ」

 

 塗れたように光る黒髪を掻きながら言う。

 

「子供が生まれたってほうの? 外人の奥さんと結婚した昂一朗君だっけ? その繋がりか?」と、継斗が首を傾げながら言うのを、苦笑しながら首を横に振る。

 

「いや、違う」

 

「昨日のライブに来てくれた・・・・・・・・・えぇ〜と、黄貴(おうき)百合恵さんと、百合香さん。あの双子姉妹?」

 

 幸彦も思い出そうと、こめかみに人差し指を当てながら言う。

 

「それも違う」

 

「じゃぁ、(みどり)(かわ)鋼太(こうた)君と妹の(ともえ)ちゃん?」

 

 和磨の予想も、首を横に振る。聖慈と付き合いが長いメンバー。チケットを渡すと、必ず来てくれるため、名前もよく知っていた。

 

「まだ居るんだよ。親戚が? 誠って奴さ。小さい時、妙に懐かれたから遊んでやったんだ。大悟君と同い年で、一七歳。親戚の中で歳が下だったから昂一朗に、百合恵と百合香、鋼太も巴も結構、弟のように可愛がっていた。俺もけっこう、遊んでやったほうだ。

ライブがあるたび、チケットも渡しているけど、来てくれないからな。いや、〈来れない〉が、正しいと思う。誠の妹にいつも断られている。嫌われてはいないと思うが・・・・・・・・・」

 

継斗は何故これないのかが、疑問だった。

 

「何で? その誠君の妹に嫌われているの? かまってやらなかったからか?」

 

「いや。そんなことはしない・・・・・・・・・俺も何度か電話で訊いてみたんだが、〈門限は七時までなので。守らないと京香さんに怒られるので〉と、言われた。俺もあの二人の母親の怖さは身を持って知っているだけに、強く言えない」

 

 聖慈は身体を震わせる。滅多に動じたりはしない聖慈だけに、その母親の印象が解ってしまうメンバー。

 

「そりゃーキツイな」

 

「でも、逢ってみたかったな・・・・・・・・・おっかない母親のほうじゃないよ? その兄妹」

 

 継斗と幸彦が残念そうに言うが、ムードメーカーの浅生和磨は、メンバーを見渡して快活に笑う。

 

「まぁ! ほら、俺等ってメジャーデビューが決まったじゃん? だったら、機会はいくらでもあるじゃん? それに、聖慈は羨ましいぞ? 俺の従弟なんて、昨日から家にも帰らない、変な不良とたむろしている噂がある上、女遊びに狂っているで、最悪だぜ?」

 

 明るく言うが、眼だけは心底忌々しいと語っていた。

 

「そうだよ? いいの? カズ? 従弟の失踪届を出すとかで、慌しいんでしょう?」

 

 幸彦の心配そうな顔に、苦笑して和磨は首を振った。

 

「どうせ、女遊びのやり過ぎさ。ヤクザの娘にでも手を出して、海に沈められちまうようなことがあっても、俺は驚かないね?」

 

 ナンパに見られがちだが、生粋の硬派である和磨には、女を物のように扱う輩に心底嫌悪する。従弟がそれなら、その憎悪も身近なために計り知れないものである。身内だからこそ、その憎悪は煮えきれない感があった。

 

「流石にありえないって?」

 

「あったら恐いだろ?」

 

 幸彦と継斗が苦笑する中、聖慈だけは表情を一瞬だけ鋭くし、

 

「もっと恐い眼にあったかもしれない」と、笑いの場を一瞬の内で張り詰めた空気に変えてしまう。

 

「何だよ? その・・・・・・・・・例えば?」

 

和磨は恐る恐る言う。時折、聖慈の琥珀色の眼が変わる。鋭いというより、何かを射抜くように見る眼の迫力は、何時までも慣れない。マイクスタンドを前にした時と同じ、豹変振りなのだ。空気も、雰囲気も変えてしまう存在感を醸し出す――――否、元々あったはずの気配が、表立ったというのが正しいかもしれない。

 

「いや、何となくさ・・・・・・・・・ただの勘だよ」と、場を冷やしてしまった事にバツが悪そうにグラス磨きを続ける。

 

「いや・・・・・・・・・お前が言うと何か、恐くなったぞ? もしかして、死んだ気がするとか?」

 

 聖慈の勘は、メンバー全員が当たると知っている。彼の勘は――――本当に良く当たる。

 

「死んでいない」と、はっきりと言い切った。

 

 ほっと、和磨が胸を撫で下ろすが、

 

「自殺は、勧められたかもしれない」

 

 それはそれで、最悪だった。

 

「まぁ、失踪程度(・・・・・・・・)なら珍しくないからな。この街は失踪したと思ったのに、その翌日には何事も無く、帰って来たって事が多々ある」と、聖慈は言いながらガラス磨きを追えた後、酒ビンの埃落としに取り掛かる。

 

 謎めいた言葉に少々、引いたメンバーだったが、当初の目的通りに清掃を終わらせるべく、手を動かし続けた。

 ガラス磨きと酒ビンの埃落とし。そして、お絞りを作り終えた聖慈は担当作業を終わらせる頃、メンバーも清掃を終えていた。

 このバイブハウスの思い出を語りながらの名残惜しいまま、全員がライブハウスから出る。階段をあがり、そのライブハウスKABUKIの看板を前にして、深々と一礼をした。

 必ずビックになって、このライブハウスに戻ってくる。そう、決意を込めて頭を上げるメンバーは知らずに互いの顔を見やって笑っていた。

 

「明日からレコーディングだな?」

 

 継斗の感慨深い言葉に、全員が頷く。

 

「明日は朝の一〇時に現地集合。遅刻なんてしないよな?」

 

 当たり前である。念願のメジャーデビュー。そして、最初のファーストシングルを作るための日である。頷くメンバーに、ニヤリと継斗は笑った。その時である。携帯電話の着信音が響き渡る。

 着信メロディーは「地獄の黙示録」だった。

 誰だ? と、全員が顔を見窺う中、紅真聖慈は携帯電話を取り出してディスプレーに眼を移す。

 瞬間、今まで見たことが無いほどの真剣な顔――――そして、こんな時にという、苦悶の表情だった。

 その表情のまま、静かに携帯を畳む。

 

「悪い。用事が出来た」と、言いながら踵を返すヴォーカルに、怪訝となるメンバー。

 

「明日のレコーディングは一〇時だよな?」当たり前のことを訊く聖慈に、

 

「ああ。絶対遅れるなよ? ヴォーカルが遅刻なんて、出来ると思うのか?」

 

「絶対に行く・・・・・・・・・約束する」

 

 まるで死地に赴くように。

 紅真聖慈は、夕日に染まる歩行者天国の雑踏に紛れていく。その背中が見えなくなるまで、〈鴉〉のメンバーは眼がなぜか、離せなかった。

 

 

歳も、職種も、性別すらもバラバラ。それら一握りの人物に、携帯電話が鳴り響く。

 

 

着信メロディーは、「地獄の黙示録」。

 

 

ディスプレーを一目見て、彼等彼女等の顔は豹変する。

仮の姿をかなぐり捨てて、仮の素顔を剥ぎ取って。

 

「ハゲ親父〜? その着メロはなに? センスってもんが無いの?」と、ソファーを占領する父親に、峻烈な言葉を吐き捨てる次女。

 

「ちょっと! アンタ! 何時までゴロゴロしてるのよ!」

 

今だに平社員である一家の大黒柱を掃除機しながら、蹴り付ける妻。

しかし、夫は携帯電話を握り締めたまま、鉄のように微動だとしなかった。

 今だパンツとTシャツの中年サラリーマンは、普段からは想像も出来ない俊敏性で立ち上がる姿に、妻と娘は面食らってしまう。

 

「えっ? ちょっと・・・・・・・・・」怒ったのか? と、妻と娘は見上げてしまう。

 

 今まで見た事も無いほど、その表情は真剣だった。

 しかし、ハンガーに掛けていたジーンズとジャケットに素早く着替えて、玄関へ向かう。

 運動用と、優しい長女が買ってくれたスニーカーを履き、玄関のドアノブに手を触れた時だった。妻と次女が追いつき、訳の変わらないと言った表情のまま夫の背中に声を掛けた。

 

「どうしたのよ・・・・・・・・・? その・・・・・・・・・怒った?」

 

「あの・・・・・・・・・休暇で寛いでいるのに、邪険にして・・・・・・・・・悪かったわ・・・・・・・・・」

 

「違うさ・・・・・・・・・」

 

 きっぱりと。力強く、首を横に振った。普段、聞き慣れているはずの声音。それなのに、二人の耳に不思議と通る声だった。不思議と、心に響く声だった。

 

「ちょっと、散歩に行ってくる・・・・・・・・・夕飯に間に合わなかったら、先に食べていて構わないから」

 

 優しい微笑み――――だが、その瞳に宿る意志はようとして、二人には判らない。

 闇を知り抜く人の決意など。

 

「あと・・・・・・・・・今のうちに、言っておかなきゃ」と、照れくさそうにしながらも、真っ直ぐに妻と娘へ視線を向け、

 

(しずく)・・・・・・・・・そして、志乃(しの)。愛している」と、普段なら絶対に言いそうの無い言葉を残して、玄関を出た。

 

 玄関前で立ち尽くす親子は、ドアを呆けた顔で見入っていた。

 

「お母さん・・・・・・・・・?」

 

「何・・・・・・・・・? 雫・・・・・・・・・?」

 

「お父さん・・・・・・・・・カッコ良くない?」

 

「・・・・・・・・・・・・思うわ」

 

 

 春日井と書かれた表札の玄関を出た瞬間、隣家の屋根に舞い降りた紅真聖慈と、視線を向ける。

ニヤリと、両者は笑い返した。

その闇を行く瞳を真っ直ぐ見て。

そして、頷くと同時に彼等の身体は弾丸のように飛翔し、電柱の頂上に到達。そこからさらに飛翔し、二つ先にある屋根へ着地。

それを高速で繰り返す。

 疾風の如く疾る休日のサラリーマンと、ロッカー。その後方から、徐々に人が増えてくる。

 年齢、職種、性別の全てが違う一一八名に追いついた一人の主婦が追いつき、その一団の先頭を引き連れて駆ける。

 夕日に染まる黄紋町を、常人の肉眼では捉えることなど不可能なスピードで。

 

 

「黄紋町【エージェント】一一九名。鬼門街の結界配置に入ります!」

 

 オペレーターに頷き、司令官は静かにモニターを見入る。

 鬼門街にクローズアップされたモニターには、鬼門街の郊外に集まる【エージェント】の青い光点が集まっていく。

 

 

「さて・・・・・・・・・と」

 

 鬼門街の峠付近。森の中――――配置に到着した主婦は、携帯電話を操作する。その背後には、紅真聖慈と春日井。さらにその背後には職種から年齢、全てがバラバラの人だかりである。一番年下など、小学生程度。一番上は六〇代と、凄まじい年齢層。

それらを統括する主婦は、電話帳から〈隊長〉というハートマークが付けられた登録名を選択した。

 

 

 同時刻。

 

 

 戸崎晶は銀丞の店で、幼馴染みで一つ年上のボーイフレンドであり中学の頃、ケガで引退するまで陸上部の先輩だった篠原大悟と向かい合わせに座っている。

二人きりの時間。二人きりのデート。しかし、今日デートで見た映画に心底テンションを下げていた。

 しかし、彼氏の方は別のようだ。

 

「〈石川五衛三郎の秘密の部屋〉・・・・・・・・・・・・あれが最後の作品になった監督が、惜しい」

 

 野太く、どっしりと構えた声音。

 (しの)(はら)(だい)()は、ぱっと見は誰もが不良と勘繰ってしまうような出で立ちと風貌。だが、精悍な顔と男らしい体格からは風格という物を、一〇代でありながらも醸し出している。

 史上最低映画と言われ、その映画を最後として作って亡くなった監督を、惜しいと言えるのはまさに凄まじい。

 

「俺は原作の方も見たが、文庫小説二〇冊分の原作を、たった一五八分に収める技量はすごい・・・・・・・・・」

 

「何でこう・・・・・・・・・シュール好きなの? 大悟は?」

 

「脚本も良かった・・・・・・・・・さすが、夫婦の共同制作・・・・・・・・・」

 

 一応、突っ込んだが、微動だにするわけが無い。じゃなきゃ、デンジャラスな暴力パンダと、一〇年も友達はやっていない。

 映画チケットは大悟持ちだから、財布は痛くなくとも心は痛い映画だった。はっきり言って、あれを見て、耐えられる自分を褒めたい。むしろ、どうして親友しているか解らない美殊で、かなりの免疫が出来たのかもしれない。

 美殊は晶の彼氏である大悟を掴まえて、

 

『あいつは、ホモの気がある。アキラ? もしかしたら、カモフラージュ役かもよ?』と、真剣に気遣って言うから、性質が悪すぎ。

 

 男の友情というのは、女の子にとって理解出来ないのは晶も同じである。しかし、人の彼氏捕まえて、もの凄く酷い評価である。

 美殊としては、誠が気に入る人物全てが、けさまで憎いのだ。この頃、自分もその範疇に入りかかっているのではないかと、不安で仕方が無かった。

 暗い気持ちの性でネガティブ思考に陥り、溜息を吐こうとしたが、大悟の携帯電話がけたたましく鳴り響く。着信メロディーは筋肉少女帯の「サンフランシスコ」。

 だから、何でそんなにマニアックなのかと、突っ込んでいいのか解らなかった。

 ちなみに誠の着信メロディーは、マリリン・マンソンの「ファイト・ソング」。

 和訳の詩を見て、以外にピッタリな選曲だった事はけっこうショックを受けた。

 そして戸崎晶には邦楽のブランキー・ジェット・シティーの「赤いタンバリン」・・・・・・・・・。

『美人じゃない』って事が言いたいのかと、複雑な胸中でもある。が、ストレートに愛を唄うところもあって、自分はかなり恋人に愛されていると実感しているため、その選曲に対しては黙っている。

 

「すまん」と、断ってから、大悟は電話に出た。

 

「はい・・・・・・・・・はい・・・・・・・・・いえ、こちらこそ、貴重な経験でした。はい・・・・・・・・・じゃ」

 

 電話を切ると、落ち込んだ顔をする大悟。

 

「どうしたの?」

 

「ドラムの助っ人の労い。自転車で転んでアバラを五本折った人の変わりに、ヘルプをしていた。しかし、残念だ。メンバーに入れてくれると思ったんだが・・・・・・・・・」

 

大悟? 人の恥をサラリと言うのは直した方がいいよ?

 

「ドラム一つでもライブは出来るって、大悟が言った事でしょ?」

 

「限界はある・・・・・・・・・」

 

 解ってたのか・・・・・・・・・。

 

「バンドを組んだら?」

 

「メンバーは募集しているのだが・・・・・・・・・中々見つからない」

 

 バンド名を変えればいいのに・・・・・・・・・。コアラッキーって何を意味してるの?

 そう心中で零した晶にも、携帯電話が鳴り響いた。

 その着信メロディーは「地獄の黙示録」。

 

「ごめんね?」

 

 そう言ってディスプレーを見ると、近所付き合いがある主婦からだった。趣味ではない選曲だが、この曲にしてくれと頼み込まれてそのままにしてある。

 そうとう、この曲が好きなのだろうと思い、渋々ながら未だそのままにしている。

 

「はい? どうしましたか?」

 

『あっ? アキラちゃん? ごめんなさい。今日はデート中なのに』

 

 晶はこの主婦に好感がある。近所に住む危ない真神兄妹に疲れ、それを癒してくれる心のオアシス的存在。彼氏が居る事での相談や、身の回りに起きたありえない事件の愚痴を聞いてくれる。本当に親身になって聴いてくれる晶には素敵過ぎる人だった。不城町で数少ない常識人であると、晶は思っている。

 

「いえ、構いません。いつも、お世話になっていますから」

 

『本当に、ごめんなさいね? 実はねぇ? 真神さん家の京香さんが、帰って来てるらしいの?』

 

「マジッすか! 私! 何も聞かされてません! アヤメ姉さんからも! 駿一郎義兄さんも! それに! 仁さんの命日は二〇ですよ? ナノニ、何で!」

 

『驚かしたかったかも』

 

 心臓に悪いドッキリはご免被る。

 

『しかも、暴れる寸前みたい』

 

思い出したくない五年前の恐怖が蘇る! Ver.2

 エプロン姿でライアット。続いて、バックドロップでアスファルトにブチ噛ましている主婦の姿が、蘇ってしまう。

 

「止めてください! 絶対に!」

 

『アキラちゃん・・・・・・・・・私に死ねって言うの? 別に、構わないわよ?・・・・・・・・・・・・あなたが一言、【死んで任務を遂行しろ】と、言うならば・・・・・・・・・我等は喜んで死にましょう・・・・・・・・・他でもないアキラちゃんのために・・・・・・・・・』

 

 物凄い迫力に、背筋が凍ってしまう晶。

 

「いえ! 死んじゃダメです!」

 

 さすが不城町に住まう人。真神京香を止める事が出来るのは、母違いの姉とその旦那さん。その両名でも、力付くで血を見る可能性がある。

他の人がやれば、命を失いかねないことを熟知していた。

 あれ? でも、我等? 大勢の人たちが、京香さんの暴走を止めようとしているって意味かしら?

 

「えぇーと! その! 被害を最小限に抑える事は無理ですか?」

 

『それは頑張っちゃう。任せてね?』

 

「任せます! その、頼んでばかりですけど! 本当にお願いします! 黄紋町の平和のために!」

 

『うん! 頑張るね?』

 

 

そう・・・・・・・・・電話を切った主婦は素早く振り返る。

全員の耳に届く。全員の決意に炎を与える、鋼の号令を。

 

「鬼門街【エージェント隊長】の戸崎晶からの伝令! 鬼門街を絶対死守! 結界配置用意! 紅真隊! 春日井隊! 九頭鷲(くずが)隊! 馬宗(ばしゅう)隊! 太刀銘(たちな)隊! 配置につけぇ! 一秒すら無駄にするな!」

 

五組に分かれた人だかりは一斉に、弾けるように、鬼門街の端から端まで取り囲んでいく!

そして、最後の連絡として本部に主婦は、連絡を入れる。

 

 

オペレーターが連絡を受け、司令官に顔を向けた。

 

「〈八部衆〉の夜武(やたけ)副隊長から、戸崎隊長の承認を確認!」

 

司令官は素早い判断を下した隊長に、静かで控え目な笑みを浮かべる。

 

「さすがは、〈八部衆〉の実娘にして〈不死身鳥〉が、気に掛けた人材・・・・・・・・・・・・・・・推薦した私の眼に狂いは無い」

 

狂いっぱなしだ。

 

「【天照(アマテラス)】! 発動!」

 

「【天照(アマテラス)】! 発動します!」

 

 ガラス越しのボタンを、女性オペレーターが拳を握り絞め、叩き押した!

 

 

 四月一八日。五時五〇。神宮院コーポレーションビル。屋上。

 

 

 

 空を覆い尽くす真神家紋の魔法陣から、六角形の魔法陣がさらに覆い尽くしていく。

 

「これは・・・・・・・・・噂の・・・・・・・・・【エージェント】か・・・・・・・・・?」

 

 【エージェント】――――それは〈聖堂〉、〈連盟〉にすら噂に上がる魔術工作員。

 退魔師と八部衆が中心になって作り上げた組織と噂されているが、その所在、その規模、その人員全てが謎。謎という霧の向こう側に属している。

 鬼門街の中で、規模の人員も知られていなくとも、その行動速度。その情報網は、最大勢力と〈聖堂〉が警戒している謎の組織。

 表だった動きをしない組織が今、巳堂霊児の前にて片鱗を見せていた。

 

「〈六角形〉の・・・・・・・・・結界方陣? 防御系――――か?」

 

 しかも、黄紋町全域を覆う規模。規模、そして強硬さ。それだけでも、魔術師一〇〇人以上はいる証拠。そして、特大の破壊魔術でも、そうそう崩れないほど鉄壁さ。だが、霊児には、どうでもいい――――そんなことはどうでも良い。そう、一番重要な部分。それを見過ごすわけにはいかない。

 

「ってか! 親子喧嘩に太陽神降ろすか!…………てか……長ッ! ココまでの展開が長ッ! 一瞬で天照来たけど長ッ!」

 

 突っ込みを叫んだ霊児だが、すぐに気付く。その両肩にどっしりと重く圧し掛かる、ボケの重圧に。

 世界を廻ったボケの重圧は、霊児の突っ込み人生の中でも感じた事の無い重さだった。

 

「――――何だ? この、世界中のボケを背負わされた重量感は? オレの直感が叫んでいる・・・・・・・・・これじゃ、まだ足りないと・・・・・・・・・くそぉー! 世界一周の乗り突っ込みがぁ! ポンポンポンポン乗りやがって! もう、天まで届いて突っ込み切れねぇつぅーの! イギリス、ルーマニア、ローマ、タヒチ、アメリカが憎い! 憎悪が滾ってくる! そして・・・・・・・・・特に、今はたった一人の人物に対して、オレは心底突っ込みたい・・・・・・・・・」

 

 早口で言いながら、偶然か? 彼の直感が成せる業か? 身体ごと不城町駅方面。喫茶店の銀丞に向け、

 

「アキちゃん! 君は今、とんでもない事を仕出かしただろぉ! くそ〜! 世界のボケの中心で突っ込みを叫んでも、虚しいんだよ! こんなボケを捌けるかぁ!」

 

 力の限り、世界のボケに孤軍奮闘する霊児を他所に、誠は実の母親である京香に目が離せなかった。

 上空から黄金色の球体が――――ゆっくりと京香に向かって降りてくる。

 その球体が左右に開かれる。炎の衣を翻す。衣一枚を纏う太陽の女神の(かんばせ)は情熱を凝縮し、全てを焼き尽くす激しさすらある。

 そして――――その激しさにときめきと、戦慄という畏敬を同時に叩き付ける絶対感。

 その女神が、ゆっくりと真神京香の中へ――――魂へと吸い込まれていく。

 真神京香の背にあった、皆既日食のフレアが終わる。

 太陽が姿を出した。

 真神京香の全身から、熱風を発していく。

それを闘気と、誠の内にある〈魔王〉は戦慄し、誠自身が畏怖を感じた。

 

 〈太陽〉を〈呑み込んで〉なお、その〈力〉を完全にコントロールし切る我が母に。

 

「くそったれ・・・・・・・・・・・・足りねぇ! まだ、足りねぇ! 突っ込みが足りねぇ!」

 

 霊児は誠の後ろで、悔しそうに拳で床を殴っていた。

 

「突っ込みなんぞ、どうでも良い・・・・・・・・・」

 

 声音だけで、熱く。獰猛な炎のように、周りの雰囲気を変えてしまう京香。しかし、生粋の突っ込みでもある霊児は、ここだけは退けなかった。

 

「ボケ殺しはダメですよ! ボケの怨霊は何時までもタタり(・・・・)ます! それにあんた等二人が、それ以上ボケるとマジでオレは困るんっすよ!」

 

 五年前、初めて京香と逢ったのが良い例だと、叫ぶ霊児を無視して京香は息子の方へ顔を向け、

 

「五秒だ」

 

 典雅の如く、天上に住まう女王は宣言する。

 

「五秒だけ、喋る事は許してやる。それが、お前の遺言だ」

 

 獰悪なまでに、獰猛の如く。紅蓮の太陽を前にして、憤怒の魔王は左右に開いたマスクで、

 

「【黙れ、くそババァ】」

 

 言い捨て、全身を弾丸として疾走する!

 

「止めろ! マコっちゃん! これ以上ボケを増やすな!」

 

 

(応援くらいしてくださいよ? 霊児さん?)

 

 

 誠は胸中で呟きつつ、太陽の化身となった母親に向かって、拳を固める!

 深奥から怒号が鳴り響く。魂の繋がる何かが狂笑する。

 全身に駆け巡る血が高らかに叫ぶ。託宣のように厳かに。

 

怯むな! 怯むな! 闘え! 殺せ! 強者に牙を持って! 弱者に処刑を持って! 信念を曲げるな! 憎悪を忘れるな! 己の血で道を示せ! 屍で血河を創造しろ! 肉を殺ぎ落として他者に与えよ! 阿鼻叫喚の指揮者となれ! 骨を砕いて証を立てろ! 屍の山脈を築き上げろ! 命を捨てて! 命を消して! 命を生かして! 命を冒涜して! その魂に! その魂に! 刻み込め、信念を! 刻み込め、憎悪を!

 

 

(どれもこれも五月蝿せぇ・・・・・・・・・何でハモってんだが理由、ワカンネェンだよ!)

 

 

 頭蓋と全身に響き渡る〈声〉を一切合切聞く耳など、誠には無い。

 あるのは、口で言っても無駄。論理など無駄。倫理など無駄。そして、〈力〉で示さなければならない母親に向かっていくだけ。

 言葉では全く足りない。行動でしか示せない相手に。

 全力の全霊。右腕に全てを賭けて! 右拳の一撃に運命を委ねるだけ!

 その全身で放たれた右ストレート。乾坤一擲の高速にカウンターを合わせる京香の掌底。振り抜き、黒金の甲殻がガラスのように脆く砕いていく!

 

 

鳳翼(ほうよく)天翔(てんしょう)ぉ!」

 

 

 魔力の爆発後、決め台詞まで高らかに叫んだ。

 

「何で一輝なんだよ! 紫龍にしろぉよ! つぅーか! その技言いそうなのは、アヤメさんっぽいんだけど!」

 

 巳堂は絶叫する。だが、もう放ってしまった上、甲殻はガラスが舞い散るように砕かれ、天高く誠の身体は舞い上がっていた。

 

「・・・・・・・・・・・・内緒にしてくれよ? 霊児?」

 

 てへ・・・・・・・・・何て、可愛らしく言った。図星で大当たりらしい。

 

「つぅーか! 車田正美ファンか!」

 

 真神京香の〈てへ〉に拮抗するべく、怒声の突っ込みを入れる霊児。しかし、すぐに頭を切り替えて、頂点に達して落ち続ける誠へ視線を移した。

 ビルの柵を越え、真っ逆さまに落ちて行く。実の母親にぶっ飛ばされて落ちて行く。

 

「あんた! 息子を殺す気かぁ!」

 

 絶叫してビルの端まで一気に駆ける。懸命に手を伸ばすものの、背中の鎖にすら届かない!

 

「大丈夫だって。死ぬ目にあっても、〈魔王〉が代引きしてくれるつぅーの? 私が、クソ可愛がる息子を殺すと思うのか?」

 

「〈神降ろし〉までして息子を殴る人じゃぁ! 説得力ねぇんだよ!」

 

もっともの意見を、喉が裂けるほど叫ぶ霊児に京香は顔をプイっと向けた。唇を尖らせている。

可愛いと、京香の中身と性格を知らない人間なら言いかねない。

 

「だって・・・・・・・・・アイツ? 絶世で、綺麗な上に素敵な完璧超美人のお母様に対して、酷い事言ったんだもん。しょうがないじゃんよぉ?」

 

「可愛く振舞うな! アピールすんな! 嫌になるくらい可愛く見えてしょうがないんだよ! ホラーなんだよ! 超怖ぇんだよ!」

 

てめぇ! 年齢考えろ! と、一番怖い言葉は胸中で叫ぶだけにする。

 

「そ〜かな? やっぱ、綺麗で若くて可愛く見えちゃうかなぁ〜?」

 

 てへへと、何を勘違いしているのか京香は照れていた。

ダメだ。この人・・・・・・・・・なんか、狂暴な部分と天然っぽいとこが、マコっちゃんと似すぎ。流石に親子だ。遺伝子だ。環境だ。

 ゲンナリしつつ、落ち続ける誠に視線を戻した時だった。甲殻が剥ぎ取られ、獣化現象が解けた誠の落ちて行く空間に――――禍々しい、門のような紋章が浮かび上がった。

 その門の紋章に吸い込まれるように――――誠の姿は空中で影も残さず消えてしまう。

 

「マコっちゃん!」

 

 霊児の行動は早かった!

 異変に気付き、ビルの柵から飛び降りる! 全身の体重を殺し、羽毛以下とし、ビルの壁を蹴って駆け下りていく!

 真っ逆さまに駆け走りながら、〈門〉の紋章へ迷い無く飛び込もうとする。

 その霊児と並行して駆け下りる京香。

異変に気付いたのか、我が子を飲み込んだ門を一直線に向かっていく!

 ビルの壁を蹴りながらも、まったく音を発さない霊児。

 ビルの壁を穿つように蹴りながら、門へ飛び込もうとする京香。

 しかし、両者が手を伸ばした瞬間、〈門〉は約束事のように消え去り、虚空を切る!

 

「「チィ!」」

 

 両者の舌打ちが重なり、ビルの半分を走破してしまい、そのまま地上へ。

 霊児は駐車所のコンクリートに、白鳥が水面に降り立つように着地を。

 京香は駐車場に停まっていた車の屋根を陥没、破壊させながら着地を決める!

 

「ブッゥー! ハァッァァァァア! レンタカーぁ!」

 

 色々汚い汁を吐き出しながら、霊児は絶叫した。

京香が着地する際の、緩和材として選んだのは紛れも無く霊児が乗っていたレンタカー。狙っていたとしか思えない。悪気満載としか言いようが無い。

 

「うぁぁぁあ・・・・・・・・・弁償しなきゃ、ダメなのか・・・・・・・・・」嘆く霊児に向かって、京香はレンタカーから飛び降り、ノシノシと大股で霊児に近付くと、徐にワイシャツを鷲掴みにし、一気に引き千切る!

 

「エッチぃ!」

 

抗議するが、京香は全く反応無し。凝視しているのは霊児の胸板。ガムテープで固定されたマイクを引っつかんで剥がし、次に視線をピアスに移動させ、無感情な表情で霊児に向けて言う。

 

「その耳を殺ぎ落とされたくなかったら、ピアスを渡しな? どうせ、さっきまでの話しを聞いていたんだろ(・・・・・・・・・)? ガートスの魔女(まじょ)()?」

 

 女王の言葉に対し、速やかに霊児へ報告するマジョ子。

 

『とりあえず、そのイカレている人と話しをしてみましょう』

 

 全て見透かされていながらも、マジョ子の度胸に感嘆し、霊児は素早くピアスとマイクを京香に手渡した。マイクを話した際、不良メイドのジュディーから『役立たず』という音声が聞こえたが、全くその通りなので歯噛みして耐えた。

 

「さんきゅー」

 

 京香は例を言ってマイクに口を近づけ、ピアスは耳元へ移す。

 

「あぁ〜テステス・・・・・・・・・聞こえますか?」

 

『聞こえている』

 

「初めまして。私は七神退魔家(しちしんたいまけ)、序列一位、真神家三二代目当主、真神京香」

 

 闇の住人同士の形式に乗っ取った自己紹介を言う京香。しかし、次の瞬間には神妙な顔から、不遜な笑みと声音で言う。

 

「お前の噂は聞いているぜ? 〈親殺し〉の魔女っ娘?」

 

 しかし、魔女も負けてはいない。皮肉すら軽く受け流す。

 

『初めまして。(わたくし)は連盟所属、分類(カテゴリー)妖術(ウィッチ・クラフト)。階位〈賢者(メイガス)〉のマージョリー・クロイツァー・ガートス。あなたが受けた(・・・・・・・・)『父』の非礼。そして、姿を隠したままの非礼をお詫びします。〈白銀の獅子〉と謳われし、〈賢者(メイガス)〉殿』

 

「〈白銀の獅子〉だぁ? 誰だ? そのセンスの無いあだ名を言った奴は?」

 

「元・〈ワーカー・フリーク〉のスポンサーです」

「あぁ〜(はん)ねぇ? まったく、センスが無いし、全くもって、ずれた(・・・・・・)ネーミングだ。〈獅子〉だぁ? 私はシャカが守る処女宮の乙女座だ。〈獅子〉を形容するなら、せめて〈クラブ〉の執事長(バトラー)にしろつぅーの」

 

 忌々しく言い捨ててから、京香の表情は剣呑へと豹変する。

 

「まぁ〜今はそんなことはどうでも良い。お前にちょっくら、調べて欲しい事がある」と、まるで下っ端パシリのような物言いに、マジョ子とマジョ子の背後にいる部隊長達は剣呑な表情となる。

 

いくら最強の女王でも、プライドを刺激する言葉なら牙を剥く。

 

『こちらに何のメリットは無い。調べ物くらい、自分でやるんだな』

 

部隊長の代弁も兼ねて礼儀など不用と、マジョ子は口調を元に戻して言う。だが、女王は面白そうに笑みを浮かべて、

 

「おいおい? 鈍過ぎるぞ、ガートス家? 考えてみろ? メリットはあるだろう? この〈最強〉から、恩を売れるチャンスを与えられているんだ(・・・・・・・・・)ぞ? まぁ、こっちは気にしていないが、昔の事は水に流しておいてやる(・・・・・・)。今は切羽詰っているし、バカ息子の安否が気がかりだからな。恩を買ってやるから、さっさと調べろ。見返りくらい用意してやる」

 

天上天下唯我独尊。その言葉が相応しい京香であったが、自嘲的な笑みを浮かべる。

 

「と、偉そうに言っても今の私じゃ、〈情報〉しか渡すモンは無いな。それでも、お前が欲しがりそうなネタは用意できる。恩も仇も万倍返しが、真神家の共通点だ」

 

『参考までに聞かせて欲しいもんだぜ? このアタシが喜びそうなネタってぇのを? えぇ? 〈女王様〉? こっちとしては、情報のタネは困っていない。こっちはあんたの息子など、どうでもいいが、気に入った情報なら考えなくも無いぜ?』

 

 学校の後輩に対してはあまりにも酷薄な意見を言うが、交渉術としては基本である。一時は“アンノウ”と、敵として扱った後輩に少なくとも後悔はある。いくら、悔やんでも後の祭りだ。だが、それはそれ。これはこれ。割り切って、魔術師としての義務を遂行する事を選び取る。

それにガートス家の情報網は、はっきり言って最高レベルと自負している。自分が知りたいと思える情報を、既に引退の身である退魔師がどれだけ持っていることか。

 そんな嘲弄を浮かべていたマジョ子と部隊長達の、心境も知らずに京香は軽い調子で言う。

 

「〈聖堂七騎士〉の素性と能力くらいなら」

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

 それこそ、喉から手が出るほど欲しかった情報である。霊児に訊いても素性の割れない連中を、レノが調べ続けても噂と逸話以外手に入らない〈聖堂七騎士〉の詳細。冷戦中とはいえども、揃えて置いて損は無い。寧ろ、何時、全面戦争となってもおかしくない状況下。その時には強力な切り札となる。

 聖堂の主力メンバーの情報は、〈連盟〉に属した魔術師にはダイヤより価値がある。

 初っ端から、最高級の情報提供に絶句するガートス私兵部隊の面々。

しかし、京香はマイク越しのためにその場の空気が読めず、残念そうに唸りながら言う。

 

「なんなら、〈女教皇〉のスリーサイズも付けても良い。コイツは〈聖堂三機関〉が、絶対に知らないネタだ。世界広といえども、私だけが知っている」

 

『・・・・・・・・・・・・・・・』

 

いや、スリーサイズなんてどうでも良い・・・・・・・・・とは、誰もが驚き過ぎて突っ込めない。

 

「何だ? まだ足りないのか? うーん・・・・・・・・・・・・じゃ? 〈クラブ〉の戦闘会員なんてぇのはどうだ? ただし、ランク一〇〇から一位の名前と住所くらいだが・・・・・・・・・まぁ、名前くらい解っていれば、知らない内に喧嘩を売らなくて済む(・・・・・・・・・・)し、上手くいけば知り合い(・・・・)になれる。あいつ等、〈外〉に友達を作るのが下手糞だからな。でも、友達になると結構、気さくで良い奴等だ。友達を大事にするとこは、私も共感を持てる。何なら、私が間に立って紹介してやるぞ? もちろん、全員呼んでも良い。つぅーか、アイツら以外にシャイだからなぁ・・・・・・・・・私が間に立つしかないか・・・・・・・・・・・・まぁ、気長にメル友から初めるんなら、間に立つ手間はないか・・・・・・・・・」

 

〈暴力世界〉の序列一位、〈クラブ〉の戦闘会員は一万人。その中でも、トップクラスに入るランカーの一〇〇から一位まで・・・・・・・・・全員、呼んでくるだぁ? しかも、メル友だぁ?

 〈クラブ〉の戦闘会員殆どが闇の中であり、〈クラブ〉に直接飛び込まなければ解らない事が断然多い。そして、飛び込んで生きている〈人間〉など殆どが絶無とも言われている。その〈中〉で、トップクラス連中の名前を教えてもらうだけでも、願ったり叶ったりである。まさに知らない内に喧嘩を売って、返り討ちになる可能性を無くせる(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 その上? 顔見せまで? 望めば百人一辺? 闇の強者全てと何らかのコンタクト出来る? 最低でも〈敵〉にだけは、ならない・・・・・・・・・?

 

「解った。解った。チマチマすんのは、私らしくないな。じゃ、〈クラブ〉の観戦会員IDも用意しようか? まぁ? ぶっちゃけ、何とかなるだろう。他でもない、私の頼みだ。ガウィナだって、嫌な顔はしないと思うぞ?」

 

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

最高峰とも言える〈暴力世界〉の長たる〈吸血騎士〉に、ここまで強気に出られる者などいるのだろうか? あぁ・・・・・・・・・だから、〈女王〉と呼ばれているのか・・・・・・・・・。

 

「何だよ? まだ足りないのか? じゃぁ? 〈墓場の巫女〉が支配下に置く、〈セメタリー〉部隊は? これは直接、私は逢ったわけじゃないが。師匠の大叔母からは聞かされているのは、たった一一人しか名前は知らない。でも、五〇年前だっけ? 確か、〈セメタリー〉が、〈暴力世界〉の序列を根こそぎ引っくり返したって事件? あの主犯格一一名の屍人(ゾンビー)の名前なら言えるぞ?」

 

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

 魔術の歴史で大変動を起こした事件、〈究極的(アルティメット)完全(・デス)殲滅(トロイ)〉。

〈セメタリー〉に属したたった一一名の屍人達によって、〈暴力世界〉の序列をたった半年で根こそぎ引っくり返した連中。今は〈墓場の巫女〉によって眠りに付いていても、〈何時でも目覚める〉ことが出来る屍人の名前は破格どころか、スペードのエースを超えるジョーカー。それを惜しげも無く切る女王に、魔女の名を冠するガートス家当主は、こめかみを抑える。マイクで、懸命に強張る声を抑え、冷静な声を演技する。

 

『解った。少し、考えさせてくれ』と、言ってから顔を部下達に向けて、マイクを切ってくれとアイコンタクトする。

 

 レノは素早く動いてマイクを切るが、その手は若干震えていた。

 

 

 全員が、一斉に顔を見合わせていた。愕然として見窺う。

 

「どうする? 破格どころか、メチャクチャ欲しい情報だぞ? 例えるなら喰い放題、飲み放題、綺麗なお姉ちゃん付きのキャバクラだぞ? どうしよう? ちょっと、破格過ぎてボッタくられるかもしれないって、不安になってきたけど?

アタシは性質の悪いキャッチバー掴ってしまう青少年の気持ちが、解り掛けてきた気分だ・・・・・・・・・いつもなら、騙される奴が悪いって言ってしまうのに。いざ、自分がその立場に立たされると、パニックになっているよ? どうしよう? どうしたらいい?」

 

 マジョ子は支離滅裂な例えで、部下達を見渡す中。アランは顎鬚を撫でながら言う。

 

「こちらを舐めているかもしれません。いくら何でも破格過ぎる。いくら引退した身とはいえ、真神京香は『魔術世界』で頂点に立った住人だ。カタギとなった彼女でも〈等価交換〉の原則は熟知していて、当然です」

 

 アランの意見にはマジョ子も賛成だった。等価交換は、少な過ぎても遺恨が出来る。多すぎても己の立場を悪化してしまう。微妙な些事加減が必要な取引である。

 アランの意見に頷きながら、レノも神妙な顔付きで言う。

 

「アランの言う通りでしょう。それに、これはブラフ(・・・・・・・)と考えてもおかしくはない」

 

 しかし、ナイフを持って緊張を緩和しようとし、荒い呼吸に血走った眼は抑えきれていないサラは、怪訝に言う。

 

「でも・・・・・・・・・自分で言ってます・・・・・・・・・〈恩も仇も万倍返し〉って・・・・・・・・・もしかしたら、そのままの・・・・・・・・・意味かも?」

 

鼻で笑いながらジュディーは煙草に火を灯し、紫煙を吐き出しながら言う。

 

「てか、さぁ〜? 何で、コイツはこうもポンポンとこっちが喰い付きそうなネタを、惜しげも無く言うの? 普通なら少しは勿体(もったい)()るじゃん? それも解らないんじゃ、美味しいネタでも喰い付けないってぇの?」

 

 そう――――それが解らない。と、マジョ子は頭を悩ましてしまうが、ジュディーの意見が一番頭に引っ掛かる。南京錠を前にして、鍵を回すだけ。鍵と鍵穴が揃っている中、その鍵を鍵穴に入れる事が出来ないもどかしさ。

むしろ、この〈鍵〉で合っているのかと、不安にすらなる。普通なら、勿体振るのだ。それが当たり前だし、交渉術の基本だ。相手の心理を刺激して、こちらの優位に立たせようと操作する。しかし、取引をしている相手はまったくそのセオリーを無視し尽くしている。

 一直線で、最短、最速にこちらが欲しがるネタを並べて見せている。

 

「もしかしたらさぁ〜? 〈女王〉って言っても人の親かもしれないね〜? 我が子可愛さに、形振り構わないって奴かもねぇ〜?」

 

 何気なく言うジュディーの言葉に、マジョ子と他の部隊長がジュディーへと一斉に顔を向けた。

 

 

 

 

「「「「それだ!」」」」

 

 

 

 

 声を揃える仲間に怪訝となるジュディーを他所に、マジョ子はマイクの電源をONにする。

 何を難しく考えていたんだ? 真神家は身内に甘いのは、何も今が初めてではない。昔っから、生粋で身内に甘過ぎるのだ。身内のために、何時でも全てを投げ打つ覚悟(・・・・・・・・)など当たり前なのだ。〈最強〉を欲しいままにする真神当主だからこそ、許された〈我が侭〉と、〈無謀〉さ、そして〈貴さ〉でもある。

 それに乗れるチャンスを逃す事など、〈連盟〉の魔術師には出来ない。この〈貴さ〉が、真神八〇〇年の歴史で唯一の弱点とも、知る由も無い幸せな退魔師。それで、幾度となく苦汁を呑まされたかも解らない血族。マジョ子の父親が、そこに付け入れて〈今〉があるように。

 

 

『聞こえるか? 〈女王〉?』

 

 マジョ子は承諾の旨を言おうとしたが、聞こえてきたのは破壊音。それも、巨大な物体にこれでもかと、蹴り続ける騒音が鳴り響く。

 騒音の間隙を縫って、霊児の絶叫がマイクは拾い続け、「レンタカーがぁ! 球体? 何? 何で? 真ん丸になんの? ねぇ! 何でそんなにねっちりと、球体にするんのさぁ!」と、言葉だけで大体の風景が解ってしまう。

 マジョ子の予想通りに、京香は待っている間のイライラした時間内で、スクラップの車を蹴り続け、直系一五〇センチの綺麗な球体を作り上げていた。

 

「はぁーはぁーはぁ・・・・・・・・・・・・(おせ)ぇぞ! とっとと、「はい」か「YES」のどっちか、言いやがれ! いくら温厚な私でも早く言わなきゃ、ブチ切れるぞ、コラぁ! ガートス家の組織がどれほどか知らないねぇが、返答次第じゃ半数以上は道連れにすんぞぉ! 特攻、神風上等が真神家の専売特許だ! それを念頭に入れろよ! コラぁ! ハラマイで特攻仕掛けんぞ!」

 

 充分すぎるほど、ブチ切れている女王にマジョ子はこめかみを揉みつつ、承諾の旨を伝える。しかし、選択肢にNOが無いところが尊大というか、褒めるしかないほどの我が侭だった。

 

『破格の条件を呑む。でぇ? アンタが知りたい事とは? 可及的速やかに調べるにしても、それを教えてくれないと話が進まないが?』

 

 話を進めるべく、促すマジョ子の言葉に京香は何度か深呼吸をして、怒りの矛を抑えて言う。

 

「〈七大退魔家〉の神城家の〈分家筋〉で、この鬼門街に住んでいる連中を調べて欲しい。〈結界〉を扱う可能性のある連中だ。今から言うから、聞き逃すなよ? 一度しか言わないからな?」

 

 すぅ――――と、京香は息を吸い込んで頭の中に記憶している〈分家筋〉の名字を並べる作業を進行するべく、針の穴を通すような集中力を持って口を開く。

 

九頭鷲(くずが)馬宗(ばしゅう)木岐崎(ききざき)慎芭(まこば)天野高(あまのたか)磯部(いそべ)宍痲(ししま)桜雫(おうだ)()日向(ひなた)矛河(ほこかわ)沙拿騨(さつかだ)百寺(ももじ)の一二家だ」

 

 スラスラと言う京香のセリフに、部隊長達は追いつけない。メモ用紙に書き殴るにも、早過ぎる。怪訝な顔で、互いの顔を見渡して答え合わせをする物の、互いのメモすら懐疑的だった。しかし、魔女と呼ばれ、〈賢者〉の地位を持つマジョ子は違う。

 

『九頭鷲、馬宗、木岐崎、神芭、天野高、磯部、宍痲、桜雫、瑚日向、矛河、沙拿騨、百寺だな? こちらで調べよう。寸分違わず、調べ尽くそう』

 

「へぇ〜? もう覚えたのか(・・・・・)?」

 

 女王の感心したような言葉に、不敵な笑みを口元に作りながらマジョ子はマイク越しで言う。

 

『これ位出来なきゃ〈賢者〉とは言われないぜ?』

 

 口笛を吹いて感心する女王。それが、賛美と感じてマジョ子も悪気はしなかったが、ふと――――何かに引っ掛かる名字に、違和感を持つ。

 

『磯部・・・・・・・・・磯部ってぇのは、〈分家筋〉じゃ、有名なのか?』

 

 その問いに、女王の真神京香は鼻を鳴らして唇を吊り上げた。

 

「磯部つぅーのは、神城家の分派。独立し掛けていた(・・・・・・・・)時代もあったが、ここ最近〈神城〉が取り込んだ。元々、磯部家は〈七大退魔家〉に数えられなくとも、明治時代初期までは〈神城〉とは違う容で、退魔の術を磨いた連中だ」

 

『・・・・・・・・・? それじゃ? 神城家に取り込まれた形で? 最近、〈再び一つになった〉ってことか?』

 

「そうだ」

 

 磯部――――磯辺? 現在、大学病院に入院中の磯部綾子? 如月アヤメすら〈行方不明〉する〈異界製作者〉?

 

『磯部ってぇのは? どんな魔術を使う?』

 

「だから、何度も言わせるな? 〈結界〉専門って言ってんだろうが! しかし、他の退魔師と違って、触媒と霊脈を利用する。これらが豊富な鬼門街なら、一二時間ほど掛ければ自分の陣地に仕込める連中だ。条件は多々あるが、神城家のように〈迷路の支配者〉じゃなく、かなり〈攻撃的な結界〉に長けた連中だ・・・・・・・・・ってぇ、もしかして・・・・・・・・・? この場合は〈まさか〉か・・・・・・・・・?」

 

 説明しながらも、マジョ子が二度の問い掛けを察し、京香は表情を消して言う。バラバラに舞い散ったピースが、一気に嵌っていく。

 マジョ子も同じなのか、表情を消して唾を飲み込む。

 

『その〈まさか〉だ・・・・・・・・・現在、大学病院で〈異界〉に飲み込まれている連中もいる』

 

「・・・・・・・・・なるほど。そうか〜、そうか〜。つまり、〈磯部〉がこの街に〈また〉戻ってきたってことか。じゃ、その大学病院の〈異界〉が発動した時間帯は解るか?」

 

『午後一時一一分』

 

「なるほど。そして私のクソ可愛い息子が消えた時刻は五時五五分か・・・・・・・・・ちぃ! ぞろ目で入り口を仕込むパターンか! 直接その大学病院に行かなきゃならんようだなぁ・・・・・・・・・・・・・・・まぁ、情報提供をありがとよ。後でさっき言った七騎士、クラブ、セメタリーの名簿を送るからな。うんじゃ、またなんかあったら頼むわ?」

 

『おい! ちょっとまっ――――!』

 

 

「どうしましたか?」と、レノの問いかけに、

 

「一方的に切りやがった・・・・・・・・・」

 

 マジョ子はどう驚いていいのかと、困惑した顔で応える。

 何て、自分勝手な奴だと言いたいところだが、気になる個所が多々あった。それを捨てて置く、伏線のようなものを見捨てておく事の出来ないマジョ子は、情報収集のエキスパートである部下に問う。

 

「それより・・・・・・・・・レノは磯辺綾子って奴を知っているか?」

 

「えっ? まぁ、如月アヤメが動くほどの人物かと思い、一通り調べ尽くしています」

 

 頷いてマジョ子はモニターから、レノへと身体を向ける。

 

「頼む。何だか全部、ソイツに掌握されているような気がしてならない。知る限りでいいから、言ってくれ」

 

 レノは魔女の問いかけに慇懃に礼を尽くし、淀みも無く磯辺綾子の情報を伝える。

 両親の離婚から派生したイジメ。四度目の自殺。三度目の怪奇現象――――。

 それらを聞いてから、マジョ子は素早く集まったデーターと最後に見たAチームの記録画像を再生して――――その画面に写した映像に、魔女には無縁であったはずの、恐怖という物に、背筋を凍らせてしまった。

 

 

 一方的に言い捨ててマイクとピアスを、真ん丸になったレンタカーの前で呆然としている霊児に渡し、徐に手を二回叩き始める。

 

「美殊! 美殊は居るか!」

 

声高に叫ぶ京香。

 

「京香さん? あんた? 時代劇の見過ぎっすよ? 忍者じゃないでしょ? いくら何でもすぐに――――」

 

「おっ・・・・・・・・・御前に・・・・・・・・・」と、汗だく、息も切れ切れな美殊が何時の間にか、霊児の横にいた。

 

「本当に現れたぁ! 嘘ぉ?」

 

「遅いぞ、美殊!」

 

 霊児の絶叫を無視して、京香は美殊へ身体を向ける。その表情は剣呑どころか、獰猛な肉食獣である。〈獅子〉というあだ名を嫌った本人であるが、そのあだ名が今、もっとも的を射ていた。

 

「これから黄紋大学病院に行くぞ!」

 

「? ? その・・・・・・・・・? 意味が解りませんが?」

 

 いきなり言い出す京香に、怪訝となる美殊。

 

「カチコミだ!」

 

「だから――――? 少し冷静になってください。何が何だか――――どうして大学病院まで行き、カチコミなんて物騒なことを?」

 

「ぶっちゃけ、誠を拉致ったバカが居る!」

 

「・・・・・・・・・ぶっちゃけて、殺すしかないようですね? ぶち殺しましょう(・・・・・・・・)。お供します」

 

 誠の名前で、美殊の表情も豹変する。鬼火のような眼光で、無表情に、機械が冷徹なまでの精密さを持って物騒なことを言う。

その迫力は、さすがに怒りっぱなしの京香すらも幾分か冷静に戻すほど。

 

「いや・・・・・・・・・殺しはダメだ」

 

(だって、旦那との約束だ。これを破ったら、胸を張って仁の妻だって誇れない。嫌われるかもしれない)

 

 しかし、養女は知った事ではない。

兄であり、世界で一番愛している誠に害する者は、地獄の底の底、底どころか、底辺へ頭から突き刺さって死んでも、まだ死に足りない(・・・・・・・・)。屑以下の命は、とりあえず消えて無くなれと、本気で考えている。

 

「では・・・・・・・・・行方不明(・・・・・・・)に」

 

「だから? 死体遺棄とかもダメ」

 

「穏便に、事故に遭ってもらいましょう(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「おまえ? 誰の影響を受けてるんだぁ? 悪い友達でもいるのか? その・・・・・・・・・私じゃ、頼りないかもしれないけど、相談くらいなら何時でものるぞ? ぶっちゃけ、家族だろ? 美殊? 私は、一応はお前のお義母さんだろ?」

 

 義理であろうが、関係ない。娘と思った美殊の将来に不安を覚える京香。

その影響を与えた可能性のある当人である霊児は、足音を立てずに京香から数歩、ゆっくりと離れる。

おかげか、こんな時にしか発動しない霊児の処世術の成せる業か? 京香は気付かずに頭を振る。

 

「あぁ〜まぁ・・・・・・・・・とりあえず、落ち着け? まずは黄紋大学病院に行くぞ?」

 

 溜息を吐いて踵を返し、人払いの結界を解除。タイミングよく現れたタクシーを拾う京香。

 

「冷静ですよ・・・・・・・・・京香さん。冷静に・・・・・・確実に、寸分違わず、張りの穴を通すようにそのバカを、ブッチめて見せましょう・・・・・・・・・」

 

 京香が止めたタクシーに、全身から阿修羅のような闘気を放ちながら、そのタクシーの後部座席に座る美殊。

 二人を乗せたタクシーは、静かに発進して行った。

 後に残されたのは霊児と――――球体になったレンタカー。

 ポンコツどころか球体のオブジェになってしまったレンタカー。

 

『ソ――――。こちらウィ――――! ソード? ソード?』

 

 弁償するにしても、どう言えばいいんだ? 女の人がビルから飛び降りて踏み付け、その女の人がヒステリーを起こし、球体になるまで蹴り付けたなど誰が信じるだろう?

 

『ソード!』

 

「何? 何だよ?」

 

 現実の世界に舞い戻った霊児はピアスを耳に付け、マイクを口元に近付ける。

 

『何度も応答しろと言いました! それより、ソード? 女王は?』

 

「えっ? 大学病院に向かっていったみたいだけど?」

 

 そうですか・・・・・・・・・と、諦めのような溜息を吐いた。しかし、数秒も掛けずにマジョ子はゆっくりと息を吸い込んで言う。

 

『実は良いニュースと、悪いニュースが二つあります。どちらから聞きますか?』

 

「はぁ? まぁ・・・・・・・・・じゃあ、普通に良いニュースから」

 

『先程、Aチームの記録画像が転送されました。ベレー帽に仕込んだカメラには、〈女教皇(プリンセス)〉と〈魔剣(カーズ)〉が合流した場面が写っていました。“アンノウ”・・・・・・・・・失敬、誠のバカ野郎は少なくとも、〈女教皇〉を安全な場所まで移動させたみたいです』

 

 おかげで女王と出くわし、チームは使えなくなりましたが――――と、憎々しく舌打ちするが、霊児としては一安心だった。レンタカーは痛いが、肩の荷が一つ減っただけでも善しとしようと、前向きに考える。

 

『〈女教皇〉は少なくとも、〈魔剣〉と一緒のはずです』

 

「うん?」

 

 少なくとも? 一緒のはず? 霊児はその部分に不安をひつひつと感じてしまう。

 

「もしかして・・・・・・・・・〈少なくとも〉、〈一緒のはず〉って点が悪いニュースなのか・・・・・・?」

 

『はい・・・・・・・・・〈こういう時だけ〉、察しがいいのも考えものですよ? 以後、気をつけて下さい・・・・・・・・・お願いしますよ? 本当に、マジで? お願いします・・・・・・・・・』

 

 マジョ子の落ち込みように、霊児は何もいえない。ただ謝る選択肢しかない。

 

「はい・・・・・・・・・すみません・・・・・・・・・」

 

 怒鳴られるより、よほど応える説教だった。女教皇と離れた理由もまさにそれである。もう少し、冷静になって考えれば誰でも解りそうなものである。

 

「では、悪いニュースをお願いします」

 

『・・・・・・・・・率直に言えば――――』

 

 マジョ子は視線を移して、第二車両のモニターの一つに目を向ける。

児童公園の滑り台を写し――――その一角にある水溜りに写る一点には、在りえないものを写していた。

 滑り台の水溜りに。黒い髪を流し、セーラー服を来ている少女が宙を浮いて、存在していた。だが、それも一瞬である。カメラを持つ隊員が、視線を誠に向けた瞬間、鎖に縛られて一気に引っ張られてしまう。その間、もう一度カメラが滑り台の方向へ向く頃には、その黒髪の少女は影も残さず、消えているのだ。

 先程の京香が言った情報。そして黄紋大学病院でレノの部隊が全員、行方不明。それが全て当て嵌まるキーワードは、磯辺綾子。

それらが気になって、先程までレノに調べさせたらブルズ・アイ。

そして、あの滑り台は磯辺綾子が大量の睡眠薬を服用した場所。その足で川へと飛び込んだルートの始点。自殺の始点である。

丁度、児童公園を抜ければ、川沿いにあるサイクリングコースへ一直線になる。

〈異界〉を作るほどの魔術師でも、〈入り口〉を作るのは並大抵の〈念〉ではない。

込められた毅さに〈怨恨〉を用いるなら、〈自殺〉ほど他者を呪う力は計り知れない。それも、無差別に・・・・・・・・・尚更、好都合である。最悪なまでに。最低なまでに最終だった。これ以上、思案を廻らせても楽観視は出来ない答しか出てこない。

 

『誠と同じく、〈異界〉に入っちゃているかもしれません・・・・・・・・・』

 

 これ以上最低な返答は無かった。しかし、もっとも適し、もっとも的中する応えがこれである。

 選べるほどの選択肢は無かった。

 

「何で・・・・・・・・・さぁ?」

 

 霊児の意見は最も。だが、マジョ子の推測は可能性としては充分あった。七割程度かもしれませんがと、言い含めて霊児にマジョ子は己の仮説を言う。

 

『〈異界〉というのは結界の最高峰とも言えますよね? 自分の精神領域に引き入れ、自分のルール、自分の都合のいい法則、自分が絶対に勝てる領域の作成者。絶対的な〈防御〉と、絶対的な〈攻撃〉。それらを両立させるには、これほど都合の良い魔術は無いでしょう・・・・・・・・・・・・?』

 

 マジョ子の言葉に頷く霊児。彼も人伝であるが、〈盾の騎士〉が行使する魔術は知っている。

〈聖堂に属した者には、強化を。それ以外には絶対的なデメリット〉を与える騎士を。その都合の良い、領域を製作する者を。最低のトラウマと、最悪な人生を体感した騎士を。

 

『しかし、女王は言っていた。〈攻撃的な結界〉と・・・・・・・・・アタシや、あなたが知る〈異界〉よりも、更に〈攻撃的な結界〉と考えても過言ではないはずです。そう――――なぜなら、〈攻撃的〉と言うなら、〈無差別〉でも構わないから・・・・・・・・・・・・』

 

 区切りを付け、魔女は深々と息を整えて、

 

『〈攻撃の対象〉って、〈自分を傷付ける可能性のある者〉と、見てもいいですよね? ソード? 女教皇の扱う魔術。アタシは知りませんが、〈それ〉を〈行使〉出来ますか? 〈異界〉という〈支配領域〉を揺さぶり、寧ろ己の〈魔術〉のみで〈ほんの少し〉でも覆せますか? また、〈魔剣〉はそれに担うだけの〈刃〉ですか? 〈異界〉に居ようが、〈この世界とは別〉であろうと、〈攻撃に転じられる者(・・・・・・・・・・・)〉ですか?』

 

その全部に、当て嵌まるのが〈女教皇〉であり〈魔剣〉です。

 

と、霊児の口から発するのは、ゆうに五秒以上掛かってしまった。

 

『なら――――もう、九九.九九九九九九九九九九パーセントは、確実かもしれませんね・・・・・・・・・・・?』

 

 言ってくれるなよ? マジョ子さん? と、霊児は絶望的な観測を言い含める相棒へ不安を漏らす。

 

『ソード? 我々も、その〈異界〉に飛び込むべきかもしれません。そう――――〈異界内〉とは言え、〈女教皇〉と〈女王〉が出会うことは、我々としては敗北条件に当て嵌まるように・・・・・・・・・・・・』

 

 相棒の悲痛な意見に、霊児は涙目で頷いて合流後、〈異界〉へ飛び込む決意を固めるのであった。

 

 

 

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